介護ブログ

母編20《言葉無き労り。》

一度機に降り掛かって来た、多種多様な問題。

急性期治療を受けていた癌研究会病院で、母の末期ガン宣告をされた時も。

東日本大震災の影響と、外来種シロアリの侵食、経年劣化のトリプルパンチを受けた、

自宅&賃貸物件の緊急建て替え計画スタート時も。

在宅介護が始まり、慢性的な睡眠不足の中で我武者羅になっていた時も。

 

全ての事柄が待った無しかつ、猛スピードで進み始めてしまい、

自分の個人的感情は、後回しにせざるを得なかった。

母を喪う事への哀しみや苦しさ、先々への不安や恐れを、

露わにする事が出来ずにいたけれど。

ホスピス入院して少し経ち、母の激痛緩和をしてもらえて気が緩んだのか、

意識的にフタをしていた様々な感情が、一気に押し寄せた。

 

ホスピスの中庭で、母の末期ガン宣告後初めて、ボロ泣きした。

真夏の快晴だったが、焼け付く様な日差しも暑さも気にならなかった。

ベンチへ座る気にもなれず、片隅にうずくまって、蚊に刺されながら泣いた。

 

「イヤだよぉ…お母さん。」

 

この時やっと、本心が言葉になってこぼれ出た。

逝ってはイヤだと、見送るには早過ぎると、共に居る時間がまだ欲しいと。

やり場のない気持ちが、涙と一緒に溢れ出て止まらず、

「イヤだ」と「お母さん」をひたすら繰り返しながら、泣き続けた。

 

こうした情景も少なからず有るのが、ホスピスなのだろう。

職員さん方は見て見ぬ振りをしつつ、気に掛けてくれた。

真夏の強い日差しを心配したのか、

中庭入り口に置いてある麦わら帽子を、頭にそっと乗せてくれ、

静かに立ち去って行った巡回警備員さん。

泣くだけ泣いて少しスッキリしてから院内に戻れば、

ナースステーションで呼び止められ。

看護師さんが何も聞かずに、冷たいお茶と冷やしたタオルを渡してくれた。

慰めの言葉は口にせず、さり気なく暖かな労りを向けてくれた事が、

何より有難く思え、何よりの救いに感じられた。

 

 

一時的に復活した食欲が再び衰え、眠りに就く時間が増えた母。

声を掛けても体に触れても、反応しなくなって来た。

日に日にやつれていく姿を見ても、あまり涙は出なかった。

激痛に呻き叫ぶ姿を目の当たりにしていた時期の方が、もっとずっと辛かった。

少しでも触れていたくて、まだ「居てくれる」事を実感したくて。

母の元へ行く度に頬や手に触れ、飽く事無く温もりを確かめた。

強い鎮痛剤で深く眠っていて尚、ギュッと苦し気に寄せられる眉間を撫ぜ、

進行し続ける皮膚転移の影響で高熱を放つ右脚をタオルで冷やしては、

うわ言で「いたぁい…」と呻く母が、少しでも眠れます様にと祈りながら、

反応を返さぬ手を握り続けた。

子供の頃、熱を出したりした時、母がそうしてくれていた様に。

 

病院の最上階にあるホスピスの、中庭が好きだった。

空が近く、高層ビル群を遥か彼方に臨める。

ある時、ゲリラ雷雨の後に中庭へ出てみると、

ビル群を覆うにして大きな虹が掛かっていた。

近くにいた看護師さんに教え、動ける患者さんも何人か出てらして、皆で虹を眺めた。

 

「綺麗だねぇ。見られて良かったよ、本当に。」

 

とても嬉しそうにしていた、車椅子の年輩女性。

何度かおしゃべりをした事もある、穏やかなその女性のお部屋が。

その2日後、空き部屋になった。

虹を渡られたのだろう。きっと。

 

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