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母編23《皮膚転移の凄絶さ。》

《注》

癌の皮膚転移を書くにあたり、痛々しい症状表現も出てきます。

お苦手な方は、回れ右なさって下さい。<(_ _)>

 

 

釣りキチ師匠だった母が、釣りキチ弟子だった父との釣り旅行先で

異常出血し、子宮頸癌と診断されたのは、2002年の春。

掛り付けはずっと変わる事無く、癌研究会病院。

(初めは大塚、移転して有明。)

副作用や免疫力低下など、様々な弊害を起こしながら10年程掛けて、

放射線 → 切除手術 → 抗癌剤の順に《癌治療》を行ない。

2011年の春、「末期、治療不可」とされて退院勧告を受けた時には、

身体の内外がボロボロになっていた。

 

特に深刻だったのは、右鼠蹊(そけい)部の皮膚転移。

体内の癌腫瘍が皮膚を突き破り、

潰瘍となって表皮に現れる「癌性創傷(がんせいそうしょう)」。

乳癌からの皮膚転移だと「花咲き乳癌」という表現がされており、

2017年6月に旅立たれた、小林 麻央さんが見舞われた症状として、

耳目した方も多いのではないかと思われる。

 

癌腫瘍が表皮へ現れ皮膚を侵食して行く事で、

体内で起きている癌の進行を、肉眼で直視する事になる皮膚転移。

癌傷が強烈な腐臭を放つのも、皮膚転移の特徴の一つ。

急性期治療が不可となった癌研究会病院を出され、ホスピス入院するまで、

在宅介護&看護していた間ずっと、母が居た両親の部屋には、

例え様のない腐臭が立ち込めており。

初めての訪問看護で、癌傷の洗浄と処置をして頂いた際、

ガーゼを外した時に強まった腐臭に吐き気を覚え、

鼠径部〜大腿が抉(えぐ)れている凄惨な様相を目の当たりにして、

目を背けずにはいられなかった。

 

急速に拡大・陥没・壊死し続ける癌傷は、絶え間ない激痛と出血を生み、

在宅ケア用の鎮痛剤は、日に日に効かなくなって行く。

母の場合、皮膚転移に至るまでにも、様々な弊害があった。

 

◆放射線治療による弊害。

癌細胞と共に正常細胞も灼かれ、身体を起こせない程の倦怠感や、

頻繁な発熱が続いた。

尿道や会陰部に酷い爛(ただ)れを起こして、

排泄時には激痛を伴い、血尿が出る事も。

 

◆手術による弊害。

手術後 目に見えて、体力や免疫力が落ちた。

極端に疲れやすくなる、息切れしやすくなる、風邪を引きやすくなる等。

 

◆抗癌剤による弊害。

抗癌剤投薬を進めるにつれて内臓が弱り、慢性的な吐き気に苛まれた。

頭髪を始めとする体毛が抜け落ち、体力・免疫力が低下し続けた。

味覚・嗅覚が鈍り続け、手足に慢性的な痺れが生じる様になった。

息苦しさや手足の極端な冷えが起こり始め、睡眠障害を起こす様になった。

 

これだけの弊害を起こし、身体機能を着実に弱らせ続けながらも、

「医師の言う通りに《癌治療》を受けていれば、きっと良くなる。」

と信じきっていた母。

家族である父も私も、当時は同様の考えだった。

辛そうな容態の母を見れば心配になり、治すためとは言え、

身体への負担や弊害が大き過ぎるのではないか、

言われるままに癌治療を受け続けて大丈夫なのか、と懸念したけれど。

体調が落ち着くと、喉元過ぎれば何とやらで、安心してしまっていた。

病院が指示する癌治療と、母の容態悪化の関係性に疑問を持ち、

調べ、考え、学び、選ぶ事を、何一つせずにいた。

 

 

「癌治療死」という概念が有る事を知ったのは、母を見送った後。

そうした情報の全てを鵜呑みにはしないけれど、癌進行に加え

「癌治療死」としてあまりに当てはまる諸々があり。

患者当人である母が亡き今、真偽の程は確かめられないまでも、

《癌治療》に伴うリスクを、知っておいた方が賢明だと身につまされたのは、

母のターミナルケア〜お見送りがきっかけ。

 

癌を治せないまでも、いずれは癌によって命を落とすのであっても。

《癌治療》の効果よりも、身体への弊害の方が強くなった時点で、

早めの緩和ケアを行ない、癌が発する辛苦を和らげながら、

出来る限り穏やかな終末期を迎えさせたかったと、今更ながらに思う。

 

母の凄絶な末期を目にしたからこその、思いだけれど。

自分が癌になった場合、自身の心身とどう向き合い、

医療との関わりをどう持って行くか、という事の指標は出来た様に思える。

 

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