介護ブログ

母編25《病院の種類、「ホスピス」という場所。》

急性期治療病院》《ホスピス》《療養病院(医療型 / 介護型[廃止の方向性]》。

大きく分けて3つある、病院の種類。

 

急な傷病が発症した際、回復するよう急性期治療を施し、

自立生活出来る様にケアする《急性期治療病院》

 

急性期治療が不可となった末期ガン患者に緩和ケアを施し、

「人」らしい最期を過ごせる様に努める《ホスピス》

(入院するには、

申請&面談 → 診療情報提供書の提出 → 入院判定会議 → 判定結果待ち

という手順が必要。

苦痛症状を集中的に緩和し、自宅へ戻る事を目的とする

短期間の「症状コントロール入院」や。

介護者の休養を目的に、要介護者を短期間入院させる「レスパイト入院」も、

ホスピスによっては対応有り。)

 

安定期(急性期治療の効果無し)を迎えた患者を受け入れ、

緩和ケアなどを施す《療養病院》

(医療保険適用の「医療型」、介護保険適用の「介護型」、の2種が有るが、

後者の「介護型」は廃止される。

入院するには、

申請&面談 → 診療情報提供書の提出 → 入院判定会議 → 判定結果待ち

という手順が必要。)

 

 

子宮頸癌から始まった、母のガン闘病。

急な出血で飛び込んだ《急性期治療病院》で約10年掛けて、

三大治療」と呼ばれる「放射線照射・手術・抗ガン剤投薬」を行ない。

様々な副作用(放射線による体内の爛(ただ)れ、免疫力と体力の著しい低下、

抗ガン剤による内臓炎症、吐き気、、五感への支障など)を起こしつつ、

右鼠蹊(そけい)部に生じた、皮膚転移による「癌性創傷」が

大腿部に掛けて急速に広がり始めたコトで。

長年の掛り付けだった《急性期治療病院》から、末期宣告と退院勧告を受け、

怒涛の在宅介護を経て、重篤症状で《ホスピス》に迎えられた。

 

 

母がお世話になったホスピスは、キリスト教系列。(写真は別の場所で撮影。)

閑静な住宅街に佇む総合病院の最上階に在り、

敷地内は豊かな緑に覆われて、面会に通う度、樹々の緑に癒された。

全個室の20病床と、面会人が泊まれる家族室が2つ。

壊死しながら広がり続ける癌性創傷からの、腐臭と頻繁な出血が有り、

激痛に呻く母にとって、個室で手厚いケアが受けられたのは、本当に有り難かった。

 

面会時間に制限は無く、ベッドごと出られる回遊庭園は四季の花が楽しめ。

自由に使えるキッチンが付いたデイルームでは、

寄席やミニコンサート、朗読会などのレクリエーションも行われていた。

夏の盛りには「スイカ祭り」が開催され、その当時、

強力な鎮痛剤が上手く効き、一時的に食欲を取り戻せていた母は、

とても嬉しそうにスイカへかぶり付いていた。

 

 

日に日に迫る「旅立ち」と向き合う、ガン患者の恐れや不安。

刻々と近付く「お見送り」と向き合う、家族の悲哀や葛藤。

「旅立つ側」と「見送る側」、双方のメンタルケアも心掛けながら、

医師・看護師・カウンセラーなど、全体で向き合ってくれた。

死へと急速に向かい続ける母も、見守り続けるしかなかった私も父も、

ホスピスのケア体制に何度と無く救われ、支えられた。

 

「治療困難な病を持つ方が、出来る限り苦痛を軽減され、

人間としての尊厳を保って、その人らしく生き抜ける様に援助する。」

 

そうした理念の元に、ご尽力下さったホスピスの方々。

退院勧告された急性期治療病院(癌研究会病院)での、

最後の入院時が非道い扱いだっただけに。

 

(過去記事リンク:「末期癌患者と急性期治療病院の対応。」)

 

《急性期治療病院》《ホスピス》の役割や業務体制の違い、

患者や家族へ向き合う姿勢(ゆとり有無含め)の違いなどを、まざまざと感じた。

 

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ホスピス入院時、絶え間ない激痛と癌傷から生じる強烈な腐臭、出血によって、

パニックを起こし「ちょっとした暴君」 と化していた母。

ホスピスで「痛みの緩和」が効を成したのは、

入院から2週間程の短い間だったけれど。

苦痛緩和できた事で落ち着きを取り戻し、暴君から「母親」へと戻ってくれた。

 

食事が美味しく感じると喜んでは泣き、夜眠れて有難いと言っては泣き。

父(肝硬変)、母方祖母(心臓疾患)、母方叔母(精神不安定)の先々と、

傾きまくっている家業とを、一人娘の私に全て担わせる事になり、

本当にごめんなさい、と言っては泣いた。

 

当時、30代後半だった私。

今よりも更に人間性が稚なく、泣きながら謝る母に、

在宅ケア時には出せなかった怒りや不安を、ぶつけずにはいられなかった。

 

「お母さんが元気な頃から、ウチの状況の拙さは指摘して来たじゃないか!」

 

「改善するよう努力する、と言ったのを信じてたのに、何一つ変わってない。

 むしろ、家業も家族状況(特に叔母の精神状態)も悪化してる。」

 

「不始末を私に全部、押し付けて逝くのか。

 ウチの尻拭いをさせるために、私を産んだのか!?」

 

溜まりに溜っていた思いが次々と湧き上がり、止まらなかった。

頼りにしたかった父は、人が良いものの私以上に心が稚なく、

こうした話題になると逆ギレするか逃げるだけ。

母がまだ居てくれる内に、意識を保ち「母親」として話せる事が出来る内に、

やり場の無い憤りや苦しさや先々への不安を、受け止めて欲しくて。

個室で幸いと、臆面も無く泣きじゃくりながら、母へその全てを訴えた。

 

そうした心情を、察してくれたのだろう。

私の手を握りながら、吐露する思いの全てを聞いてくれた。

責めて詰(なじ)って、溜飲が少し下がった後にこみ上げたのは、

痛みを堪えながら訴えを聞き続けてくれた、母への申し訳なさ。

そして、遠く無い日に母親を喪う事への、息詰まる様な哀しみや苦しみ。

 

「ごめんなさい。お母さん辛いのに、責めてごめんなさい。」

「お母さん大好き。」

 

死なないで、置いて逝かないで。

私じゃ、お父さんもお祖母ちゃんも叔母ちゃんも、背負いきれない。

私じゃ、家業も担いきれない。どうしていいのか、わからないよ。

 

最も言いたかった本音の数々は、辛うじて飲み込んだ。

母の心残りを、増やしてしまうから。

謝りながら泣いていると、私の手を握っていた母が手招きした。

すぐ傍に近付くと、力の入らない腕を上げ抱っこしてくれた。

小さい頃、悲しい事や不安な事があると、そうしてくれた様に。

 

「沢山たくさん我慢して、頑張ってくれて有り難う。」

 

その一言で、涙腺が大決壊した。

大人になって初めて、子供の時の様に母へしがみつき、声を上げて泣いた。

母を喪う事への哀しみ、託される家業と家族問題の重責、

これから先への怖れや不安などが入り混じり、息苦しい程だった。

 

 

あの時、母にありったけの思いを訴え、受け止めてもらえた事は、

後々の救いになったなと、今になって思う。

母とのやり取りの間、医師か看護師と思われる足音が近付き

病室の前で止まったが、すぐに離れて行った。

漏れ聞こえる声で状況を察し、回診を延ばしてくれたのだろう。

 

「旅立つ者」と「見送る者」の時間を優先し、気遣ってくれるのも、

《ホスピス》という場所の有り難さの一つだと、痛感した出来事。

 

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