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母編26《皮膚転移の進行、癌に壊されて行く母。》

《注》

癌の皮膚転移を書くにあたり、衝撃的な表現も出てきます。

お苦手な方は、回れ右なさって下さい。

お読みになる方は、自己責任でお願い致します。<(_ _)>

 

 

2011年6月中旬にホスピスへ入院した母は、

体内を侵食し続けるリンパ節転移と、表皮を侵食し続ける癌性創傷による、

激痛と出血のダブルパンチを受けていた。

一時的に緩和ケアが功を成し、食欲が復活して、夜も眠れる様になったものの、

身体の内と外の両方で、急速進行し続ける癌がもたらす激痛は、

ホスピス処方の強力な鎮痛剤でさえも緩和しきれず。

母の呻き声は、日を追う毎に大きく絶え間無くなり、

入院から1ヶ月足らずで経口摂食が出来なくなっていった。

 

 

痛みで暴れる様になった事に従って、鎮痛剤がより強力なものへと変えられ。

2011年8月下旬、晩夏の頃。

母は1日の殆どを、深く眠ったまま過ごしていた。

目覚めれば、痛みに呻くしかない状態。

薬で眠らされている方が、本人にとっては幸せだったろうと思う。

もし目覚めて、少しでも気分が良いなら食べさせてあげたいと、

口当たりの良いアイスや母が好むプリンなどを、持って行かずにはいられなかった。

病室備え付けの冷蔵庫には、母に食べさせられないまま消費期限を迎えた

ゼリーやプリンが増え、期限切れしたものを処分しながら、

衰弱しきった母の姿に泣いた事もある。

 

右鼠蹊(そけい)部に発症した、皮膚転移による癌性創傷。

鼠蹊部から大腿へと、壊死を起こしながら広がり続ける癌性創傷には、

モーズペースト(皮膚転移などの腫瘍表面 に塗布し、化学固定する事で、

出血・悪臭を緩和する薬剤)処置が施され、

一時は出血や腐臭が軽減出来されていたが。

日を追う毎に、腐臭は強まり頻繁な出血を起こし、否が応でも、

母を喪う日が刻々と近付いている事を、認識せざる得なかった。

 

ある日面会に行くと、癌傷の処置中だった。

病室へは、ナースステーションの前を通って向かう。

癌傷処置中の時は、ステーションの看護師さんに呼び止められ、

呼びに行くまでデイルームで待つ様に言われるのだが。

その日はたまたま、ナースステーションに誰も居らず、

病室へ行ってから、処置中だと知れた。

 

《注:この先、皮膚転移による癌性創傷の描写が入ります。

医師説明や実際目の当たりにした事を、ありのまま書かせて頂きます。

衝撃的な内容になりますので、ご注意下さい。》

 

 

入室した途端、嗅覚を直撃した強烈な腐臭と血臭。

思わず咳き込んだ。

ベッドの側に衝立が置かれ、母の姿は隠されて見えない。

衝立の向うから現れたのは、人当たり柔らかなベテラン看護師さん。

 

「傷の洗浄が終わった所です。処置が済んだら呼びに行きますから、

デイルームでお待ちになっていて下さいね。」

 

優しく退室を促され、頷こうとして・・・考え直した。

在宅ケアからホスピスへ移り、2ヶ月程経っていたが。

母の癌傷を在宅ケア時以来、ずっと目にしていなかった。

 

「癌性創傷は今後、皮膚を侵食しながら広がり続けます。

創傷部分の皮膚は、壊死を起こし出血頻度も増えますから、

1日か2日に一度、壊死した皮膚の除去と患部洗浄を行ない、

モーズペーストで創傷部分を固めて、匂いと出血をカバーしましょう。」

 

ホスピス入院の数日後、医師に語られた説明。 

その後、どの様な状態になっているのか。

どれだけ、症状進行してしまっているのか。

自分もいずれは、癌を発症するかもしれない。

母の様に、皮膚転移を起こすかもしれない。

そうなった場合の心構えも含めて、母の「今」を知っておきたい。

強くそう思い、看護師さんへ申し出た。

 

「母の現状を、見せては頂けませんか?」

 

看護師さんの顔が、強張った。

 

「お止めになった方が、いいですよ。ショックを受けますから。」

 

申し出の理由を、懸命に訴えた。

母の現状を、知りたい事。

先々、自分や家族が癌になった場合、皮膚転移を起こした場合の心構えも含めて、

症状進行の様相を知っておきたい事。

 

「母の《今》を、ちゃんと知りたいんです。

癌性創傷が、在宅ケアの時よりもっと酷い状態になっている事は、

この匂いでわかりますし、承知の上です。

患部を見て具合が悪くなったとしても、自己責任としますから。

母の《今》を、見させて頂けませんか。お願いします。」

 

そこまで言えば、医師に聞いてみます、と譲歩し、院内PHSで確認してくれた。

医師の了承が下り、母の側へと促された。

正直、進行した癌傷を見るのは、とても怖かった。

見ないまま、知らないまま、ホスピス任せのままでいいじゃないか、と思い。

回れ右してデイルームへ逃げ込みたい、とも思ったが。

終末期の母の姿と向き合いたい、という気持ちの方が、勝っていた。

 

近付くごとに、強まる臭気。

母の姿を隠す衝立の前まで来て、看護師さんが告げた。

 

「もし気分が悪くなったら、無理せずに言って下さいね。」

 

ありがとうございます、と答えて覚悟を決め、衝立の向うへ踏み入った。

 

 

撥水性の医療用シートが敷かれたベッドの上で、微動だにせず眠っている母。

 

「癌傷の処置中は痛みも凄まじいので、かなり強い鎮痛剤で眠らせます。」

 

と、医師から説明を受けていたが。

苦しそうに眉根を寄せ、微かに呻きながら深く眠る母の姿は、

あまりにも痛々しかった。

思わずその手を握り、頬や頭をそっと撫ぜたが、全く反応が無い。

露わにされた右脚へ、そろそろと目をやった。

一瞬、状況が掴めなかった。

眼にした現実を、認めたくなかったのかもしれない。

 

皮膚転移の発症し始めは母曰く、「小豆みたいな、赤く小さなデキモノ」だった。

(過去エッセイ リンク「徐々に近付く、波乱の気配。」

痛みや痒みが無い「赤いデキモノ」は徐々に増えて、浸潤液を滲ませ始め。

激痛と出血、壊死を伴いながら、皮膚を抉(えぐ)る様にして、

急速に侵食していった。

在宅ケア時、癌性創傷の洗浄などで、皮膚侵食の様相を何度か眼にしていた。

血と膿にまみれた患部を直視するのは辛かったが、無我夢中だった事もあり、

どうにか耐えられていたのだが。

 

2ヶ月振りに眼にした患部の有り様に、呆然とした。

鼠蹊(そけい)部から大腿の、皮膚が無い。

壊死した部分がごっそりと抉(えぐり)取られ、大きな窪みが出来ていた。

その奥に見える白いモノが骨だとわかり、愕然とした。

 

私が具合を悪くするのではと、看護師さんが側で待機してくれていたが。

吐き気を催す事は、なかった。

恐怖に震える事も、パニックを起こす事も無かった。

「壊死した皮膚の除去と患部洗浄」を終えた母の右脚を、

ただただ呆然と見つめていた。

癌が、お母さんを壊して行く。 そう思いながら。

 

母ケアへのお礼と、処置中断させた事のお詫びを、ベテラン看護師さんへ述べた。

別の看護師さんが訪れて、デイルームまで付き添い、ハーブティーを淹れてくれた。

お礼を言って一口二口と啜っている内に、涙が出始めた。

拭っても拭っても止まらず、体が震えだした。

 

「よく勇気を持って、お母様と向き合われましたね。」

 

椅子に座る私の前に屈み込み、手を包み込みながら労られて。

堪えきれずに、泣き出した。

癌に壊されて行く姿を前にして、何も出来ない事がとても苦しく。

母を喪う日が近い事を改めて自覚し、哀しくてならなかった。

「身を切られる様な思い」とは、あの時味わった感覚かもしれない。

 

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