介護ブログ

母編31《他界後対応の違いと、残されるモノ。》

初めて、同居家族の「お見送り」に触れたのは、20代の頃。

戦時中の脊椎損傷の後遺症で、長年寝た切りだった母方の祖父。

誤嚥性肺炎で入院していた《急性期治療病院》から、

数日後に退院するはずだった矢先。

容態急変の連絡を受け、祖母や母と共に病院へ駆け付けた時には、

既に息を引き取っていた。

 

祖父の枕元からは、甲高い電子音での「ブラームスの子守歌」が、

エンドレスで流れており。

「この音、止めて下さい!!」

呆然とする祖母を支えた母が、泣きながらそう叫んだのを、

今でもよく覚えている。

まだ暖かい祖父の手を撫ぜていた私も、無機質な音色の子守歌に、

少なからずの不快さを覚えていて。 母と、同じ思いだった。

 

祖父が旅立った日の病院対応は、イヤな思い出が多い。

他界すると鳴り出す仕組みらしい、キンキンと響く電子音の子守歌。

「処理するので、退室して下さい。」

悔やみの声掛けもそこそこに、追い立てるかの様に退室を促した

看護士さんの、《処理》という言葉。

 

生命活動を止めた身体の状態を保たせるため、処置が必要な事はわかる。

「死後の処置」は、医療従事者事にお願いするしかない事も、わかっているが。

命消えた家族に対し、《処理》と言われたのは不快だった。

「急性期治療病院での他界」対応には、そんな苦い思い出が有った分。

「ホスピスでの他界」対応が尚の事、有難く思えた。

 

 

ホスピスにて母の呼吸が止まった、2011年9月半ばの深夜。

呆然自失の父を、自宅へ戻らせた後。

母の身支度して下さる看護師さんを、手伝わせて頂いた。

この時初めて知った、《エンゼルメイク》の存在。

 

強力な鎮痛剤の投与と癌進行で、顔が浮腫み、血色も悪かった母が。

丁寧なメイクで、元気だった頃の顔付きに戻って行った。

ルージュの色は、私が選んだ。

苦痛による眉間のシワも、看護師さんに教わったマッサージで取れ、

穏やかな表情で眠る母。

久しぶりに、いつもの「お母さん」と会えた心持ちがした。

 

「キレイになりましたね。

お嬢さんが選ばれたルージュ、よく似合いますよ。」

 

生きていた時と変わらずに、母へ語りかける看護師さん。

病院の寝着から、用意してあった洋服へ着替えさせる時も、

癌に蝕まれ骨折した右脚を気遣い、丁寧に慎重に扱ってくれた。

遺された家族にしてみれば、とても嬉しい思いやり。

 

主治医の勧めで、「お見送り」の時に着せる服一式は、病室に準備してあった。

母お気に入りのスカート&ブラウス。

滅多に着なかった、花柄のよそ行きジャケット。

看護師さんが退室し、おめかしした母と二人きりになった。

生命活動停止した身体を保たせるため、極限まで冷やされ続ける室内。

お借りした毛布にくるまり、ベッドのすぐ傍に座った。

訃報から、数時間が経って触れた母の手は、かなり冷たくなっていた。

近々訪れるとわかっていた、母親との別れ。

その日が来たら、恨み言の五つや六つは言ってやろうと、思っていたのだが。

 

「お母さん」

その言葉しか、出てこなかった。

「お母さん。お母さん。おかあさん。おかぁさん。」

馬鹿の一つ覚えの様に、何度も何度も呼び掛けながら。

冷えて硬くなって行く手や頬を、撫ぜ続けずにはいられなかった。

 

暫くして看護師さんが、温かな紅茶を淹れて来てくれ。

有難く頂いてから、勧められるまま、家族室のベッドで横になった。

眠れなくてカーテンを開け、白んで来る空を眺めていたが、ふと思い立ち。

携帯電話に残っていた、母からのメール全てにロックを掛け、

専用フォルダを作って保存した。

家業運営者 兼 家族達のケアキーパーソンという、

《要(かなめ)》としての母が残した、記録や資料ではなく。

《お母さん》が、娘である私へ宛てた思いを、残しておきたかった。

 

 

 

アナログ人間な母は、携帯電話を持った後もしばらく、メールを使わなかった。

根気良く教え、扱える様になってからは、私や父へメールする様になったが。

入力スピードはなかなか上がらず、メールを打つ度に四苦八苦していた。

 

5月のメールは、在宅ケア時期。

母のターミナルケアと、家業の建替計画に、無我夢中で駆けずり回っていた。

在宅ケア用の鎮痛剤は殆ど効かなくなっており、

激痛の波をやり過ごしながら、気遣ってくれた事が、嬉しくも辛かった。

 

6月のメールは、ホスピス入院時期。

緩和ケアが功を成し激痛が和らいで、苦痛のあまり「暴君」と化していた母が、

「お母さん」に戻ってくれた、短くも貴重な期間。

 

7月に受信した、タイトルも本文も無いメール

経口摂食が出来なくなり、強力な鎮痛剤で意識朦朧としながら、

痛みに呻いていた時期。

何を思って携帯電話を手に取り、私に何を伝えようとしたのか。

確かめる術は無いけれど、母からのラストメッセージとして、保存した。

 

メールを保存しながら、母からの留守電メッセージを1つぐらい、

残しておけば良かったなぁと、思ったけれど。

亡き母の声も、亡き父の声も、

見送って20年以上が経つ亡き祖父の声でさえ、

思い出のシーンと併せて、記憶の中に鮮明に残っている。

 

眼には見えないけれど、残された大切なモノ。

家族や親しい人の声や思い出は、アタマやココロの深い場所に、

しっかりと刻み込まれるのかもしれない。

 

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