介護ブログ

母編32《ホスピスでの最終日。救われた事、学んだ事。》

母からの受信メールを全て保存し、少しウトウトしている内、

朝の訪れと共に葬儀社の方が見え、母を帰宅させる準備を行なった。

一晩を自宅で過ごし、翌朝に納棺して、保管場所へと運ばれる。

 

 

「お疲れ様です。本当に、お疲れ様です。

ゆっくり、お休みになって下さいね。」

 

病室へ行くと、夜は居なかった母の担当看護師さんが、目を真っ赤にしながら。

ベッドに横たわる母の手を撫ぜつつ、そう語り掛けていた。

笑顔がチャーミングな、年若く小柄な看護師さん。

入院当初、激痛により暴君化していた母を、根気強くケアし。

坂道を転げ落ちる様に悪化し、急速に死へと向かい行く母親を、

見守るしかない辛さと苦しさに、押し潰されそうだった時や。

母に代わり、背負わなければならなくなったモノの重さに苛まれ、

意識無く呻き続ける母の傍らで泣いていた時に、暖かい紅茶を淹れて来てくれ。

心落ち着くまで手を握り背を撫ぜ、付き添ってくれもした。

 

家族ですら正視しきれない、強烈な腐臭漂う凄まじい様相の、

皮膚転移による癌性創傷も、丁寧に処置してくれていた。

「それが看護師の仕事だ」と、言った人もいたけれど。

労わりや思い遣りの気持ちが薄ければ、あの様な「仕事」には就けないと思う。

感謝しても、し足りない。

母の担当看護師さんにこれまでの感謝を伝え、

深く深く頭を下げた時、抱きしめられた。

 

「本当によく、頑張られましたね。 お母様も、貴女も。

旅立ちの時、側にいられなくて、ごめんなさい。」

 

その声が、震えていて。 母が旅立ってから、この時初めて。

人にしがみつき、声を上げて、泣いた。

感情のままにやっと、思いっきり泣けた。

 

 

ホスピスを、去る時が来た。 

受け入れて頂いてから、約3ヶ月が経っていた。

ベッド毎、病院に隣接したチャペルへと運ばれて行く母。

病室内の私物を纏めた荷を手に付き添い、主治医と看護師さん達と共に、

チャペルで《お別れ式》を行った。

朗読される聖書の一節も、歌われる讃美歌も。

学生時代を過ごしたミッションスクールでよく触れていた、

馴染み深いものだった事もあり、心が和らいだ。

 

《お別れ式》が終わり、葬儀社の方が、母をベッドから車へ移動させた。

癌の侵食で骨折している事を聞いていたようで、

右脚を持ち上げる時は殊更慎重にしてくれたのが、とても嬉しかった。

母を乗せた葬儀社の車を先に出し、

お見送りしてくれるホスピスの方々へ改めて感謝を述べて、

タクシーに乗り込み実家へと向かった。

 

主治医と看護師さん達に見送られ病院を去るのは、この時で2度目。

1度目は、末期宣告と同時に退院勧告して来た、急性期治療病院。

あの時は、末期を迎えてからの病院対応が酷かった事も有り、

医師・看護師勢揃いでの見送りに、不快さを禁じ得なかったが。

感謝の思いと共に去る事となった、ホスピスでの見送りは、

穏やかな気持ちで応えられた。

 

 

(リンク:「末期癌患者と、急性期治療病院の対応。」)

(リンク:「癌研究会病院、最後の日。」)

 

 

 

急性期治療病院での死亡退院は、死亡診断を終えて間も無く、

死後処置を施されて、そのまま霊安室へ運ばれ。

その間に、病室片付け・明け渡し手続き・最終清算などを行なって、

葬儀社が訪れ次第すぐ、亡き骸を搬出する事になる。

 

母他界から4年後、急性期治療病院の緊急処置室で、

深夜に旅立った父の他界時。

医療機器の電子音がそこここで鳴り響き、

医師や看護師さんが忙しなく出入りする中、哀しみに浸るゆとりも無く。

付き添いで疲弊した心身を休ませる時間も無く、追い立てられる様にして、

葬儀社への連絡から病室明け渡し、最終清算などを一人で行なった際。

父の他界後対応を、かなり慌ただしく骨折りに感じた。

 

母の他界後対応でとても有難かったのは、

他界から搬出までの時間的猶予が、しっかりと設けられていた事。

最終清算がその日の内ではなく、数日間の猶予が有った事も、

追い立てられ感が無く、気持ち的なゆとりを持てた。

葬儀社への連絡も、急性期治療病院での他界時には遺族が行なうが、

ホスピスでは看護師さんが行なってくれており。

母の様に旅立ちが深夜だった場合は、葬儀社が訪れる朝までの間、

家族は仮眠室で、他界した患者は病室で、休ませてくれる。

 

ホスピスで母を、急性期治療病院で父を、それぞれお見送りし。

他界後の病院手続き諸々全てを、一人っ子のお役目で単身行なった事で、

病院の種類により、他界後対応も様々な違いが有る事を知った。

全てのホスピスが、ゆとり有る他界後対応をしてくれるかどうかは、不明だが。

少なくとも母がお世話になったホスピスは、遺族として他界後対応にも救われ。

後になり、生命観や死生観の変化や、学びにも繋がった。

 

いずれ私が《最期》を迎える時、出来る事なら急性期治療病院ではなく。

母がお世話になった様なホスピスで、緩和ケアを受けながら、

極力穏やかに最期の時を過ごし、静かな環境の中で旅立ちたい。

 

そう願う様になり、自身の先々対策の「ライフプラン」にも、

その旨を明記する様になったのは。

ホスピスのケア&他界後対応と、急性期治療病院のケア&他界後対応、

双方に触れ経験した事が、大きく影響していると思われる。

 

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