介護ブログ

母編33《母 帰宅、納棺前夜の思い出。》

2011年9月半ば。

残暑厳しい快晴の中、母は約3ヶ月振りに帰宅した。

絶え間ない激痛と出血から、ようやく解放されて。

 

 

ホスピスからタクシーで実家に戻り、葬儀社の方々の手で母が仏間へ運ばれ、

敷かれていた布団へ丁重に、横たえられるのを見守った。

納棺は翌日に行われ、ドライアイスに囲まれた母は、仏間の布団で一晩を過ごす。

 

ボロ泣きしながら、言葉も無く立ち尽くす父。

「お帰り。よく耐えて、よく頑張ったね。

 もう大丈夫だから、光を目指して行こうね。」

横たわる母の傍らに座り込み、嗚咽を漏らして語り掛けながら、

冷たくなった頬や手を撫ぜ続ける母方祖母。

母に向かって手を合わせ、涙しながら瞑目する母方叔母。

遺された家族それぞれが、命消えた母と向き合う姿を目前にしても。

どこか、現実感を伴いきれずにいた。

母の死を心の底で、認めたくなかったのだろう。

 

喪主を務める遺族は「お見送り」完了するまで、哀しみに浸る余裕も無い。

という事を、身をもって体験した。

《表の喪主》は、亡き母の伴侶たる父が務めるものの、

母「お見送り」の采配を振るうのは、《影の喪主》となる私。

葬儀社さんとの打ち合わせに臨むも、心ここに在らずな父。

予測内の状態に溜息吐きつつ、お通夜・告別式の段取り等を取り決めた。

 

 

母がホスピス入院している内に、「お見送り」の基本的な事は決めてあった。

斎場や、葬儀・祭壇の形式、ご供養を頼むお寺さん、大まかな見積りなど。

他にも細々とした、選択&決め事がたくさん有り。

それらを斎場の空き日程に合わせ、選定しなければならない。

母の「お見送り支度」として行なった事柄は、以下の通り。

 

《仏式、お通夜・告別式 2日葬の 一例。》

遺影写真と、納棺したい遺品等の選定。

斎場、火葬場、棺、骨壷、遺影額縁の選定。

葬儀形式(宗派、無宗教、1日葬、音楽葬など)の選定。

祭壇形式(白木祭壇、花祭壇など)の選定。

参列して頂きたい方への連絡と、おおよその人数集計。

親族が「供花」を希望する際は、その集計と献花者の氏名確認。
(供花に、献花者の名札を立てる場合。)

返礼品と挨拶状(お通夜、告別式の参列者へ渡す)の選定。

精進落とし料理(お通夜、葬儀後の会食)の選定。

葬儀当日、現金払いする分の用意。

(僧侶への志と車代、配膳係への謝礼など。)

 

母のお見送りは、火葬場一体型の斎場で、他界4日後に執り行われる事が決まり。

家へ母を連れ帰った日から3日間で、「お見送り支度」を整える事になった。

上記の事柄を短期間で行なうのは、なかなかの骨折りだけど。

一人っ子独り身である事に加え、頼りにしたい父はアテにならず、

実の娘を喪ったショックが大きい心臓疾患持ちの母方祖母や、

精神不安定が顕著な母方叔母も、頼る事はできず。

《影の喪主》として単身、取り組むより他なかった。

 

 

 

実家での打ち合わせを終え、葬儀社さんが帰った後。

父には、父方親族へ連絡する事、自身の礼服を出しておく事を頼み、

翌朝の納棺に立ち会いたいであろう近隣の母方親族達へ、連絡をして。

「お見送り支度」内容をチェックしている内に、気が緩んだのかソファで寝落ち。

目覚めれば真夜中で、テーブルには「食事を用意しておいた」との

母方叔母のメッセージが、置かれていた。

母の他界連絡を受けた深夜からずっと食欲が湧かず、

丸一日ロクに食べないままだったけれど、空腹感を覚え。

深夜のキッチンで一人、叔母が作ってくれたオニギリとスープを

食べている内に、涙が止まらなくなった。

 

母親を喪った、哀しみや寂しさ。

家業と家庭状況共に、様々な大問題を放置したまま丸投げして、

旅立ってしまった事への怒りや恨み。

それらが絡み合い、混じり合って、叫び出したい衝動に駆られた。

今この家に、母は居る。 仏間で一人、眠っている。

まだ居てくれてる内に、言いたくても我慢してた事を言わなければ。

そんな思いで、母が居る仏間へ向かった。

眠れない時の導眠剤代わりに持っていた、酒瓶を手にして。

 

 

横たわる母の傍らに座り、顔に掛けられた白布を取った。

触れた頬も手も、芯まで冷え切り硬くなっていた。

 

ホントに死んじゃったんだな、お母さん。

 

改めてそう実感した瞬間、言葉にならない呻き声が、涙と共に溢れ出た。

手にした酒瓶を呷(あお)りお酒の力を借りて、

もの言わぬ母へ、抑えに抑えていた想いをぶつけた。

 

「早すぎるよ。いくら何でも、いなくなるの早すぎるよ!」

 

「これから私に、どうしろって言うの!

 お父さんはウチの仕事わかってないし、病気有るのにヤケ酒止めないし。

 おばちゃんは精神おかしくなってるし、おばあちゃんは容態悪いし!」

 

「お母さんに代わって、ウチの仕事と家族を背負うのが怖い。

 どうしたらいいか、わからないよ!」 

 

「大好きだけど、大っ嫌い!」

 

本当は母が生きている内に、伝えたかった想いの数々。

面と向かって相談し話し合いたかった、先々への不安や恐れ。

母も恐らく、人は良いけど頼りにできない父や、精神不安定な叔母、

持病進行と老いで弱り衰え続ける祖母を相手に、悩み続けていたのだろう。

夫である父や、娘である私にも相談できずに、不安や心配事を一人で

抱え込んでいたのだろうと、号泣し母を詰(なじ)りながら思った。

 

酔い回りと疲れを覚え、母の隣りへ寝転んだ。

ドライアイスに囲まれた母からは、ひんやりとした冷気が漂い、

残暑の夜の暑苦しさを感じなかった。

隣りに並んで寝るのは、一体何年振りだろうと思いながら、

涙腺が壊れた様に泣き続け、再び眠りに落ちた、納棺の前夜。

 

癌を発症してから、約10年。 末期宣告を受けてから、約半年。

63歳で母が旅立った事によって、怒涛の介護者生活は幕を下ろし、

家業&複数名高齢家族を担う、大黒柱生活の幕が開けた。

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