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母編34《納棺式と、旅支度。》

2011年9月半ば。

約3ヶ月振りに帰宅し、仏間に寝かされた母の隣へ横たわり。

泣きながら浅い眠りに引き込まれ、ふと目覚めては、

ドライアイスに囲まれ冷え切った、母の姿にとめどなく泣き、

を繰り返しながら迎えた、《納棺式》の朝。

 

鳥の声に促され雨戸を開ければ、母の発ち日と同様の青空が目に入った。

泣き過ぎで瞼は腫れ上がり、寝不足で軽い頭痛はあったものの。

怒涛の末期癌ケア中には、言いたくても言えなかった心情の数々を、

母がまだ「居て」くれる内に吐露出来た事で、気持ちは少しスッキリしていた。

 

哀しかろうと苦しかろうと、《お見送り》準備は待ってくれず、

お通夜・告別式に向け、迅速に粛々と進めなければいけない。

目元を保冷剤で冷やしまくり、腫れが幾らか引いた頃、

約束の時間通りに葬儀社さんが訪れた。

 

 

母の《納棺式》に立ち会ったのは、父・母方祖母・母方叔母1、私。

加えて、近隣住まいの母方叔母2 夫妻と、大伯父夫妻。

初めに、喪主である父から順に親族が一人ずつ、《末期の水》を母の口へ含ませた。

 

次に行なうのは、《旅支度》。

葬儀社の方の説明を聞きサポートを受けながら、

母へ1つずつ、旅装束を身に付けさせた。

此岸のお役目を終えた母を、彼岸へ送り出すために行なう身支度。

避けて通れない事と分かりながらも、息苦しい程に胸が締め付けられた。

 

足袋を履かせる。

母の足は癌の影響で、左右の大きさが桁外れに異なっていた。

歩けなくなった半年程で、小さく萎んでしまった左足。

癌の浸食で、破裂寸前の風船の様になり、土踏まずの窪みすら失われた右足

左足に足袋を履かせ、右足はその上に足袋を乗せるだけに留めた。

 

臑(すね)には脚絆(きゃはん)を、手には手甲(てっこう)を付ける。

細く衰えた、枯れ木を思わせる左脚。

丸太の様に腫れ上がり、癌細胞に骨を砕かれた箇所が、陥没している右脚。

点滴痕が残り、浮腫んで黒ずんだ両手。

凄絶な癌闘病の名残の数々を、色濃く残す姿を目の当たりにしながら、

母の手足をそっと、撫ぜずにはいられなかった。

 

「三途の川の渡し賃」となる六文銭(紙製)を入れた頭陀(ずだ)袋を持たせ、

合掌させた手の上に数珠を乗せて。

葬儀社の男性陣と、父・大伯父・叔父が、母を抱え上げて柩へ納め、

祖母・大伯母・叔母1・叔母2・私は、母へ手を添える形で寄り添った。

 

ドライアイスが周りへ敷き詰められ、頭の上に半円形の編み笠を、

利き手の側に杖を、足元に草履を置いて、《旅支度》完了。

母お気に入りの洋服を着せていたので、

葬儀社さんが用意して来た白装束は、畳んで柩の中へ入れ。

集まった親族全員の手で、納棺された母へ布団を掛けてあげた。

 

 

仮蓋をする前に設けられた、お別れ時間。

名を繰り返し呼びながら、冷え切った頬を撫ぜて嗚咽を漏らす、母方祖母。

母の額に自分の額を合わせ、声を詰まらせて、とめど無く涙を流す父。

「向こうには、お父さん(母方祖父)が居てくれるからね。大丈夫だよ。」

「本当にお疲れ様。良い所へ行ってね。」

泣きながら母に触れて言葉を手向ける、2人の母方叔母。

 

戦時中に両親を失った事で、母方祖母が親代わりとなり、

母や叔母達とは兄妹の様に育った大伯父は、

「辛かったな、よく頑張ったな。ゆっくり休めよ。」

と、目を赤くしながら労わりを告げ。

大伯母と叔父が、母との別れを済ませたのを見届けて、柩の側へ寄った。

 

苦痛の表情を消している母にホッとしつつ、

温もりの全てを失い、芯まで冷たくなった顔をスリスリと撫ぜた。

母へ言いたい事は、山程あった。

あまりに早く喪われた事への哀しみ、遣り切れ無さ。

母から丸投げされた、数々の尻拭い問題への不安、憤り、恐れ。

胸の内に渦巻くそれらの思いよりも、心底求める思いが口から零れた。

「お母さん、おかあさん、おかぁさん。」

 

衰弱の末の心停止か、癌浸食が起因する失血死か、

という死因予測を、ホスピスで言い渡されていた母。

癌に皮膚を抉られ骨を砕かれ、鎮痛剤で意識を沈められて尚、

絶え間ない激痛に呻き続ける姿を、これ以上見たくない。

癌に身体を壊されきる前に、解放されてほしい。

どうか苦悶を長引かせ無いで下さいと、切に祈り願いさえしていたが。

自分はこんなにも、母という人を喪いたくなかったのかと、思い知らされた。

 

 

折角、腫れが少し引いていた目は、止まらぬ涙で再び、腫れてしまった。

イヤだ、こんな現実は受け容れたくないと、叫び出したい一方で、

一人娘として、《影の喪主》として成すべき事へと意識が向き。

恐らく頼りに出来ないだろう《表の喪主》な父に代わって、

母の《お見送り》準備を進めなければ、という思いが、

感情に任せ泣き喚きたくなる衝動の、歯止めとなっていた。

 

その後、仮蓋をされた柩に収まった母は、葬儀社の霊安所へと運ばれ。

《お見送り》準備も、大詰めに突入した。

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