介護ブログ

母編4《徐々に近付く、波乱の気配。》

 

異常出血で釣り旅行を切り上げ、母が検査で飛び込んだ先は、

癌研究会病院(当時は大塚に有り)。

子宮頸癌の診断がなされ、即入院で放射線治療スタート。

 

当時は西東京で自活しつつ、OLしていた私。

不動産会社で、勤務していた父。

家業である不動産賃貸物件の運営は、母に一任されていた。

 

数年後、放射線治療が効かなくなり。

腹部に転移が見つかって、手術した際。

 

「切除しきれない場所に、癌細胞が残っている」

 

との医師説明に、イヤな予感はしていた。

そんな予感、当たらないで欲しかったけど。

手術をし、抗がん剤治療を始めた更に数年後。

ソレは蠢(うごめ)き、暴れ出してしまった。

 

放射線治療を始めてしばし後、副作用が現れ、体力・免疫力が激減した母。

そうした状況の母に、介助が必要となったのをきっかけに、

残業や休日連絡が多かった勤務先を退職。

 

現在で言う所の、「介護離職」だけど、当時はそんな概念も生まれておらず。

「介護休暇」制度も、当然無し。

退職後は派遣で短期勤務しつつ、一人っ子ゆえに後継者として、

家業手伝いも始めていた。

 

抗がん剤治療に切り替わってからの副作用が酷く、投薬入院中や退院後は、

体調不良が続き、辛そうだった母。

それでも体調が落ち着けば、釣りや山歩きを楽しめていたのだけど。

片足を引きずり始めた、2010年の冬が。

嵐の前触れだったと気付いたのは、ずっと後になってから。

 

 

2010年11月〜2011年4月。

嵐がやって来る前の、平穏だったひと時。

暗雲を呼ぶ風は、徐々に吹いて来ていたのだけど。

母本人も、父も私も、気付こうとしていなかった。

 

「右脚の付け根に、出来物が出たのよね。

 痛くもかゆくもないんだけど。」 そう告げた母に。

 

「様子見て、おかしいようなら、皮膚科へ行ったら?」 と、返した私。

 

「うん、そうだね。」

 

2010年の晩秋に交わした、母との会話。

その少し後、右脚を引きずり始めた。

 

「右足、捻っちゃったみたい。治り悪くて、困るんだよね〜。」

 

そうボヤきながらも杖を突きつつ、冬の高尾山をゆっくりと登ったのは、

2010年12月。

派遣の販売職に就いていた私が、年末繁忙期に入る前にと誘われ、

山の空気を満喫したいという母と、ハイキングをした。

母との山登りは、この日が最後となった。

引きずっていた右脚の痛みが、ケガではなく癌の進行なのだと。

母自身も気付かずにいた、幸せな時。

 

Copyright (C) 2017 KAIGONOZUKAN. All Rights Reserved.