介護ブログ

母編5《根拠無き安心と代償、母の底力。》

 

年明けて、2011年。

右脚の腫れが目立ってき、母が隠し事を始めた時期。

趣味の一つだった日帰り温泉に、行かなくなった。

誘いを掛けても、理由をつけて断られた。

 

後になり、わかったのは。

右脚付け根の「出来物」が増えて、化膿や出血を伴う皮膚侵食が進んでいた事。

その「出来物」が、癌の皮膚転移であった事。

抗がん剤治療が、効かなくなっていた事。

 

時と共に酷くなる、右脚の痛みと浮腫み。

山登りは出来ないけれど、父や私が付き添い、杖を突きつつ、よく散歩していた。

自宅近所の整骨院へ通い、少し楽になってきたと、笑っていた。

 

やせ我慢でしか、なかったのだろうけど。

母の笑顔に、その時は愚かにも、安心してしまっていた。

ごめんね、お母さん。ごめんなさい、本当に。

晩年の母の笑顔を思い出す度、謝らずにはいられない。

 

 

2011年3月11日。東日本大震災、発生。

数多の生命が巻き込まれた未曾有の日も、母は気丈だった。

歩行困難になっていた母に代わり、心臓疾患がある母方祖母の

受診介助を終えて帰宅した矢先に起きた、大きな揺れ。

ソファへ座らせた祖母を抱え込み、揺れが収まるのを待つ間、

母は父と協力して、避難口の確保などを行っていた。

 

揺れが収まると、祖母のケアを私に任せ、右脚を引きずりながらも、

冷静に的確に指揮を取っていてくれたけれど。

痛みに顔を歪ませながら、家族を守るべく懸命になっていた母を、

この時の私は、どうサポートして良いのかもわからず。

出される指示をこなすだけで精一杯だった。

 

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