介護ブログ

母編9《後の祭りとは、よく言ったもの。》

 

母が癌になった時点で、遅かれ早かれ、病身介護が始まるのは眼に見えていたのに。

癌治療に伴い体調を崩し、元気そうに振る舞いながらも、

徐々に着実に弱り続けていたのに。

それらに向き合おうとせず、先々対策の学びや準備を何一つする事無く、

安穏とした10年を過ごしてしまった。

末期を迎えた母の身体が、悲鳴を上げながら壊れて行くまで。

 

医師に言われるまま「治療」を受け、治療を受ける度に体力・免疫力を低下させて、

身体を弱らせ続けていた母もまた。

自分自身の体調や、個人事業主としての先々と、向き合おうとしていなかった。

肝っ玉母さんな反面、怖がりでビビリな人だから。

不安と恐れが先立ち、現実に眼を向けられなかったのだろう、と思うけど。

母本人と、私を含めた家族の「無知・無準備」が招いた

失敗の代償は、とても大きかった。

 

介護者デビューとなった母の末期癌ケアで、

「まずは知る(識る)こと」を身を以て痛感し。

母ケア時の経験を、様々な面で役立てられるようになったものの。

あまりにも高くて痛い、代償となってしまったのは確か。

 

 

2011年、春の盛り。 目映いばかりの、新緑の季節。

もう一人では立てず、処方された鎮痛剤も効かなくなり、

激痛と戦う日々に突入していた母。

以前であれば、鮮やかな緑に誘われて、カメラ散歩しに行くのだけど。

病院と実家を行き来し、要介護認定の申請を行い、

家業の建替計画に奔走し、ホスピスを調べ打診する毎日だった。

 

父はアテに出来ず、一人っ子ゆえに兄弟姉妹は無く、

頼れる親族も居らず、孤軍奮闘するしかない状況。

一日が終わり眠ろうとしても、神経が立っていたのかよく眠れず、

体力は限界に近かったのだろうけれど。

気力で、持ちこたえていた。

 

火事場の馬鹿力だったかな、と自覚したのは、

嵐が過ぎて何年も経ってからだけど。

あの時の心身疲弊の後遺症は、今も少なからず残っている。

 

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