介護ブログ

母編11《追い付かない準備、怒涛の2週間。》

 

子宮頸癌から始まり10年程掛けて、体内増殖し続けた母の癌細胞。

皮膚へと転移し、右脚付け根に姿を現してから、1年足らずの間で。

急速に転移面積と深さを増しながら、母の身体を壊し続けた。

皮膚転移した癌から度々出血を起こし、鎮痛剤も効かなくなっていった。

この時初めて、「癌細胞は腐臭を放つ」事を知った。

 

有明癌研究会病院への、容態報告面談時。

主治医の前で初めて、堪えきれずに泣いた。

母の身体を壊し続ける癌の進行が早く、

あらゆる面での受け入れ準備が追い付かないと、訴えて。

最後の温情だったのか、「鎮痛剤の調整と、緩和ケア科への移籍準備」

という名目で、入院させてもらえる事になった。

 

ショックを受ける事で容態悪化しやすかった、同居家族の2名。

心臓疾患持ちの母方祖母と、精神不安定な母方叔母。

事実を隠していたこの2人に気付かれない様にと、

口にタオルを押し当て声を殺しながら、絶え間ない激痛に呻いていた母。

そうした姿を目にしなくて済む事で、少し気が楽になった。

母の側で寄り添い介助していた父も、ようやくゆっくり眠れた様だった。
 

 

癌研の主治医が提案した入院期間は、2週間。

その間に幾つもの事柄を、同時進行させなければならなかった。

 

父と交代しながら、母の見舞いに行く傍らで。

受け入れてくれるホスピスを求めて、何軒か面談しに行き。

ケアマネさんや介護ショップの方と、在宅介護計画の打合せを行い。

訪問看護ステーションと話し合い、契約を結んで。

東日本大震災と外来種白アリ侵食のWパンチを受けた、

賃貸物件&自宅の建替準備に奔走した。

 

使い慣れていないアタマも身体も、火事場の馬鹿力でフル回転。

母が容態急変すれば、癌研究会病院からの電話連絡が入るので、

携帯電話は24時間手放せず、就寝時も枕元に設置。

心身共に疲れていたはずだけど、アドレナリン大放出していたのか、

疲れをさほど感じていなかった。

その反動は「電池切れ」という形で、後から現れたけれど。

 

Copyright (C) 2017 KAIGONOZUKAN. All Rights Reserved.