介護ブログ

母編15《介護と家業の兼任デビュー。》

 

末期ガン介護と家業引き継ぎが、同時進行でスタート。

母のケアを行なう実家が、「介護場」兼「職場」となった。

ホスピスの入院申請〜入院判定結果までは、1ヶ月程掛かるのが通常だけど、

重篤さを考慮してくれたのか、申請から10日程で入院許可をもらえ。

母の強い意向で、同居家族の母方祖母と叔母には「末期癌」を隠しつつ、

ホスピスからのベッド空き連絡を待ちながらの、在宅介護が始まった。

 

2011年当時の同居家族は、私を除いて4名。

心臓疾患持ちの母方祖母フネさん(現・養母①)、

精神不安定が今よりも酷かった母方叔母カツ子さん(現・養母②)、

肝硬変持ちの父マスオさん、末期癌 急速進行中の母サザエさん。

西東京で独立生活していた私(タラコ)が実家へ泊まり込み、

結構なカオス状態の中で、介護&家業運営の兼任デビューと相成った。

 

急速悪化し続ける症状、酷くなる一方の激痛や出血。

鎮痛剤の影響で、思考力や判断力が低下している母。

元より、細かな事が出来ない父。

服薬管理を引き受けたものの、鎮痛剤のレベル引き上げに伴い、

種類も回数もグンと増えた服用薬に四苦八苦。

 

鎮痛剤が日に日に効かなくなり、激痛に苛まれ続ける母。

緊急引き継ぎした家業運営についての質問をしたくても、

仕事の話が出来る状態ではなく。

父は私以上に内容をわかっておらず、アテに出来ない。

家業において、母の前任を務めていた母方祖母へのヒヤリングをし、

母が作成した手書き記録と照らし合わせては、

資料を作り運営状況の把握に努める一方で。

東日本大震災による被害と、外来種シロアリ侵食のダブルパンチを受け、

建物診断でレッドカードが出された自宅&家業物件(賃貸アパート)の

緊急建て替え計画も、進めなければいけない。

 

実家内で仕事をしていても、母からのSOSコールが鳴れば、飛んで行って対応。

疲れ果て就寝していても、SOSコールが入れば、飛び起きて即対応。

母の癌進行・容態悪化に並行して続く、慢性的な寝不足。

「介護場」と「職場」が同一の状況は、通勤時間要らずですぐ対応できる、

という利点がある反面。

物理的にも心情的にも「介護」と「仕事」が切り離せず、

気の休まる場所が無い事という点では、不利に感じた。

 

 

私が生まれた当時、我が家は大人6人、子供(タラコ)1人の7名家族。

婿養子だった母方祖父ナミヘイさん、後継ぎの祖母フネさん。

これまた婿養子の父マスオさん、後継ぎの母サザエさん。

母の妹達である叔母1・カツ子さん、叔母2・ワカメさん。

叔母2・ワカメさんはご近所へ嫁ぎ家庭を持ち(現在は鬱病&実母の介護放棄)、

祖父ナミヘイさんは、私が20代の頃に他界。

 

精神不安定が酷く、未婚のまま家に残った叔母1・カツ子さんの事も含め、

一人っ子として結構な重荷をいずれ任される事は、前々からわかっていた。

少しでもいいから親として、家業運営者として、

後を継ぐ事になる私への負担を軽くしておいてほしいと、

事ある毎に両親へ訴え続けてきた。

真面目に取り合ってもらえずに失望し、精神的に追い詰められた時期もあった。

 

「ごめんなさい。

 これからはちゃんと先々を考えて、状況改善して行くから。」

 

母が泣いてそう答え、父も同意したのは、末期ガン宣告を受ける2年前の事だが。

状況は何一つ変わっておらず、むしろ放置し続けた事で、

低迷した家業も、叔母1・カツ子さんの精神不安定も、悪化の一路を辿り続けていた。

 

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